事業変遷
有限会社若月木工所の事業の変遷と沿革の紹介です。
故郷、米沢で俺らの木工所を始めっぺ

若月木工所が誕生したのは昭和5年。現・代表者の祖父とその弟が始めた木工所が前身です。大正年間から他の木工所で修行していたこの二人は「俺らの木工所を始めっぺ!」と、当時好調だった繊維業界に目をつけ、若月製作所ブランドとして木製撚糸機械を作り始め、撚糸が盛んだった岐阜県方面で使われ始めました。
その時、機械につけていたトレードマークが今も残っています。若月製作所、若月木工場、若月木工所と時代とともに名前を変えてきたのが分かります。
時代の流れが、作る木工製品を変えていく

撚糸機械作りの職人たちは、昼夜よく働きました。昔の足踏み式の家庭用ミシンが普及が始まると、その天板作りに勤しみました。夜12時を超えても木を削る音が響くこともしばしばでした。
時代が、戦争に突入すると、米沢の木工組合では軍用弾薬箱の製造が始まりました。若月木工所でも同様です。また、創業者は軍用グライダー作り(当時の飛行機機体は木部が多かった)もしていたようです。
「少数精鋭でいい、人を幸せにできる木工製品を」

戦争が終わると、物資を供給するために輸送リヤカーを量産(今のようにまだ自動車はありませんでした)し、建物需要が高まったことでサッシを取り扱い、その取り付けや木工建具を始めました。高度経済成長を迎えると、その需要は益々高まり、若月木工所の作る正確な建具は多くの大工様から指示を集め、内装建具や木工家具が評判になっていきました。
当時、米沢のほとんどの学校や病院の木工建具・家具には、若月木工所のトレードマークが付いたほどです。
時を経て、住宅メーカーのシェアが大きくなっていくと家づくりも機械化とシステム化で、地元の大工様は減り、地元で作る木工製品も少しづつ影を潜めはじめていきました。若月木工所もその煽りで職人を減らすことにもなりました。しかし、昨今では木のぬくもりや木工製品ならではの温かみが見直され、それ求める住宅デザイナーや設計士が少しづつ増え始めています。そんな中、若月木工所では若い職人のセンスが育ち始めてきました。「少数精鋭でいい、人を幸せにする木工製品を作るんだ。お客様のために。」と。
機械や量産品にはできない現場にあわせて作る手仕事のぬくもり。そのアイディアと繊細な技術は、今も若月木工所に受け継がれています。
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル
- 1950年4月サンプル









